2013年1月21日月曜日

シンガポール最後の潮州式四合院はビジネススクール House of Tan Yeok Nee

明治屋があるリャンコートの対面、フォートカニングパークに面したクレメンソーロードをイスタナ(大統領官邸)を目指してを進むと、ちょうどペナンロードと交差する角に、古風な中国様式の邸宅が見える。




これが、シンガポールで最後に残る潮州式四合院建築物、House of Tan Yeok Neeである。

シンガポールに赴任したての頃、ちょうどイスタナの脇のキャーヴェナロードに住んでおり、明治屋と家を行き来する時に必ずこの角を通っていた。その度に「これは一体何だろう」という興味と、「この場所は私にとって忘れられない場所になるかもしれない」という漠然とした思いを感じていた。

私を含め多くの通行人を立ち止まらせるこの建築物は、1885年(明治18年)に中国・潮州(ちょうしゅう あるいは ティオチウ)出身の商人、陳旭年(タン・ヨク二ー)氏が建てた邸宅だ。明治18年といえば、清国でベトナムを巡る清仏戦争が勃発し、甲申事変後の朝鮮半島を巡る日本との天津条約が結ばれた年。清朝末期に南洋に新天地を求めた東南アジアの華僑第一世代が活躍した時代だ。




シンガポールには潮州出身の華僑が多い。潮州は中国広東省東部にある小さな市で、その東端は東シナ海に面している。港町として栄え、様々な異国文化に触れる機会も多かった潮州の民の多くは、独自の方言、料理、文化等を基盤にした団結力と勇敢さで、海を渡り東南アジアやアメリカ大陸に新天地を求めた。華僑のなかでも福建・潮州・広東・海南・客家(はっか)の出身者は、「五大幇(ごたいばん)」すなわち、5大勢力と位置付けられる。潮州人の子孫はシンガポール、マレーシア、タイに多く、当国で話される中国語も、福建語とともに潮州語の影響を受けていると言われる。




1827年に潮州の貧しい家に生を受けた陳旭年は、17歳にしてその当時南洋(ナンヤン)と呼ばれていた東南アジアに行き、繊維の貿易を始めた。その後ジョホールで胡椒や香辛料の農園を運営して成功して港を手に入れ、当時は合法だった阿片や酒の貿易に事業を拡大させた。1882年にシンガポールに居を構え、その3年後に執務室を兼ねた邸宅ととしてこのHouse of Tan Yeok Neeを建てた。

陳旭年の死後、19世紀に入りちょうどこの裏にジョホール・シンガポール鉄道が建築されると、この邸宅はタンクロード駅駅長の手に渡った。その10年も経たない内にクリスチャン系の女子校の校舎となり、さらに1938年から1991年までの間は(日本軍に接収されていた時期を除き)、救世軍の本部として使われていた。




2,000平方メートルの敷地に建てられた旧陳旭年邸は、中央の四角い庭「院子」(上写真)を囲んで四方に「房」を配置する四合院様式の伝統的な作りで、随所に風水を取り入れた伝統的な潮州式住宅である。建物の前と後ろは東と西を向き、陰と陽、金、木、水、火、土の「5つの要素」、繁栄、知識、長寿、健康、幸福の「5つの調和」が取り入れられている。玄関口の大理石の柱には陳氏の祖先の生活風景のレリーフが刻まれるなど、建物の随所に様々な意匠が凝らしてある。




海の怪物セイレーンに魅了された船人のように、この建築物に導かれたのか、あるいは自分が手繰り寄せたのか分からない。結局私は、12年程前から旧陳旭年邸をキャンパスとしているシカゴ大学ブース経営大学院(シカゴブース)に2009年に入学した。明治屋からの帰り道の胸騒ぎが、このビジネススクールについて調べるきっかけになり、最終的には2年弱程ここに通い詰めることとなった。

直感人間の私だが、この決断には相当の時間を要した。仕事面、経済面だけでなく、家族に多大な影響を及ぼすため、1年間考え抜いた。その間コンタクトを取った同窓生全員に、「時間を戻せるなら学費を別の有益なことに費やすか、シカゴブースを選ぶか」と聞いた時、ことごとく全員が「シカゴブースを選ぶ」と答えたのに、ある意味根負けした(笑。




卒業して思うのが、この2年弱の経験が、間違いなく今後の人生という航海の羅針盤となっていくだろうということだ。MBAが魔法の言葉だった時代はとっくに終わっている。そんな形骸的な事よりもっと大切なもの、それはここで養った論理的・体系的なものの考え方や、その考えの表現の仕方、そして世界中の同窓生とのネットワークであり、これは人生で失われることのない無形資産であり続けると信じている。

まず建物に魅了されたものとしては、この邸宅の重い扉を開け、中に一歩足を踏み入れた時の感動も忘れ難い。まず目の前に飛びこむのは、ガラスの壁に四方を囲まれた池。




前述の庭と池の間には広いラウンジがあり、クラス期間中の朝、昼はここにビュッフェ式の食事が並ぶ。ベジタリアン、ムスリム、ヒンズー教徒と全ての食慣習に合わせた食事が出されるのが特徴だ。下の写真の左手がラウンジ、右手が池である。その奥には、六角形の小さな休憩所があり、その周りを池が取り囲む。




この建物は2階建てで、2階にすり鉢状の教室がある。講義中は熱気がすり鉢の下に溜まってしまうため、教授が汗をかかずに講義をするには、教室全体の冷房を強めなければならない。このため冷房をまともに受けるすり鉢の先端の席を、私たちは「ノースポール(北極)」と呼んでいた。




ドービーゴート駅の眼と鼻の先にありながら、この中にあるのは、緑と静寂に包まれたオアシスだ。卒業しても自由に出入りが可能なため、ここにラップトップを持ちこんで仕事をする同窓生も多い。




庭を囲む房が小さな部屋に分かれており、この一つ一つが、スタディグループの勉強部屋となる。クラス期間中は夜遅くまでここの光が消えることがない。




キャンパスでは様々なイベントも催される。 つい先日も、かつてはシカゴGSBと呼ばれていたこのビジネススクールに史上最高の3億ドルを寄付した(それによって校名がシカゴブースになった)、当校同窓生にしてインデックスファンドのパイオニアとして知られる、デビッド・ブース氏を招き講演会が行われた。




右手に座っているのがブース氏。左手に座っているのが、 この時司会を務めたマリーナベイサンズCEOのジョージ・タジェシネビック氏。彼もシカゴブースの同窓生だ。




かといってみんながカチカチに恐縮するようなイベントではなく、講演前にワインやカナッペが振る舞われ、その間にブース氏とお喋りする者もいたりと極めてカジュアルだ。

このような感じでシンガポール在住のシカゴブース同窓生は何かにつけキャンパスに集っている。在校生・同窓生を24時間体制で迎えるラウンジのコーヒーマシンでコーヒーを注ぎながら、「世界一高いコーヒーだよね」と言うのが私たちのお決まりの冗談だ。




シカゴブースは多くのアントレプレナーを輩出してきたことで有名だが、その意味では、中国の小さな港町から海を渡り、東南アジアでアントレプレナーとして大成した陳旭年氏の邸宅をキャンパスに持つというのは何か運命的でもある。

この美しい陳旭年邸は残念ながら一般公開されていないが、シカゴブースに興味のある方は、近くこのキャンパスで説明会が予定されているので、見物がてら気軽に来て欲しい。またカリキュラムの詳細については、ウェブサイトをご参照頂くか、マーケティング担当のリアさんに連絡して頂ければと思う。ちなみに彼女の名字は「スギタ」さんだが、「オバマ」さんと同じくたまたま日本人っぽい名字なだけなので、問い合わせは英語でお願いしたい。


The University of Chicago Booth School of Business - Asia Campus
101 Penang Road, Singapore 238466
TEL: 6835 6482
http://www.chicagobooth.edu/
Director of Marketing Ms. Ria Sugita (Ria.Sugita@chicagobooth.edu)

2013年入学説明会
シンガポール: 2013年1月30日(水) アジアキャンパスにて 19:00から
東京: 2013年2月5日(火) コンラッド東京にて 19:00から
説明会登録はこちらから
http://www.chicagobooth.edu/programs/exec-mba/admissions/events/asia


 これが人生の新しいチャプターの扉になったりして? 

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